バンコクから国内線でウドンタニへ飛び、それからバスでラオスへ向かった。



飛行機でラオスに入ることもできるが、節約のために陸路になったそうだ。





タイとラオスの友好橋を越えると国境だ。


メコン川を境に二国は分かれている。




ここがタイとラオスの国境の出国管理所。

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ラオスは「一番仲の良い国が北朝鮮」というガチガチの社会主義国なので

ビザの申請が非常に面倒である。



出入国でかれこれ1時間くらいグダグダしていた。



ラオスに入ると景色が一変する。

道はガタガタで、街灯もない様子だ。




数時間バスで走って首都ビエンチャン市街地に入るが、活気がない。

ピョンヤンもこんな感じなのだろう。

家の目の前の池で釣りをするおっさん(何が楽しいのか)や

田んぼと半壊した建物ばかりが目に入る。


ビエンチャンは首都といっても、人口100万人にも満たない。


土地は広いものの、人口が少ないので建物はすぐ廃墟になる。




昼食はビエンチャン市街地で食べた。

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鍋料理。牛肉や魚、野菜、ソバなどを入れて食べる。






昼食後はラオス政府の情報文化省を訪問した。

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情報文化省の建物は非常に古いつくりの建物だ。


客間に入ると銭湯にあるような大きな絵が目に入った。

寺院や滝などラオスの観光名所が描かれた絵だ。



情報文化省はラオスの文化発信、観光開発を管轄する省庁である。

早稲田大学は当省と深い関係にあり、公式の契約を結んでいて

ラオスの考古学や文化歴史などの研究をする許可を得ている。



情報文化省の事務次官が情報文化省の仕事について説明してくれた。





その後、バスで移動し国立ラオス大学に訪問する。

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国立ラオス大学は日本でいう東大だが、

1995年にできたばかりの歴史の浅い大学で

これまでラオスにあった単科大学を統合した形でできた総合大学だ。


日本政府とJICAのサポートでつくられた。


付属の初等教育校や図書館も有する。

大学に入る前にファンデーションスクールで学ぶ仕組みだ。


ASEAN諸国、フランスの大学との提携が強い。

成績が優秀な者には奨学金も出る。


もちろんラオスで大学に入れる人はかなりのエリート層であり、

家庭の方もステータスとして大学に行かせるが

共産党幹部の子供くらいしか国営企業、政府官僚になることは出来ず

多くの人は地元の学校教師や私立大学の講師になるのが殆どである。


努力しても家柄がなければ偉くなれないシステムが出来上がっている。





その後、ホテルに到着。「ホテルラオ」というホテルだ。

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夕食を食べ、外を散歩した。


ネットカフェが近くにあったので入ってみたら

意外にも日本人がいた。

しかもラオスのパソコンで日本語変換ができることに驚いた。